エジプト皆既日食の旅 その1
 2006年3月29日ナイジェリア〜ニジェール〜チャド〜リビア〜エジプト〜トルコにかけて皆既日食が見られた。前回1999年8月11日ヨーロッパ皆既日食ではザルツブルクで雲に阻まれ失敗している。今回はどうしても見たい。
 2005年6月にいち早くツアーを発表した誠報社・東急観光のトルコツアーに申し込んだ。が、晴天率等を考えて12月に星ナビ・クラブツーリズムのツアーに変更した。2006年3月27日出発、4月1日帰国の6日間のエジプトツアーである。
 エジプトではNASAの資料によると晴天率は75%、これなら充分であろう。当然リビアのほうが晴天率はいいのだが料金が高すぎる。家族で行くにはエジプトが妥当な線であった。

 さて、どうなることか・・・

 過去3回皆既日食に出かけているので(うち1回は見ていないが)準備に関しては余裕である。ただ荷物は4人分なので大変である。機材は赤道儀、双眼鏡2台、三脚2本、ビデオカメラ、スチールカメラ2台、デジカメ1台、交換レンズ数本、フィルター各種、フィルム等である。最近航空機持ち込み荷物の重量はかなり厳しいと聞いたのでこれらを振り分けるのに頭を悩ませた。スーツケースに赤道儀ではあっというまに20kgオーバーである。登山用のリュックとスーツケースを利用して振り分けることにした。登山用リュックに赤道儀を入れ周りを着替えで包み込みパッキンとした。もっとも4人なので全部で80kgまで持って行けるので余裕ではあるが。
 とにもかくにも春休みを迎えいよいよ3月27日(月)出発の日を迎えた。
 なお、1991年メキシコ皆既日食はこちらからどうぞ。
 
3月27日(月) 
成田空港 さて3月27日、久しぶりの海外旅行とあってみんな朝早く目がさめる。荷物の重量が相当あるので成田まで車で行く。1週間ほど前に成田の駐車場を予約してある。成田集合は11時、出発はアリタリア航空13:05ミラノ行きである。ちょっとくらい早くても成田に行ってのんびりしようということで7時過ぎには自宅を出る。成田到着9時半頃。子供たちと展望台で飛行機を見て過ごす。
航空券 11時集合、荷物を預けて航空券を受け取る。AZ787便ミラノ行き、出発ゲートは26番。さあ、ここでいきなり遅れれた人がいた。あとでわかったのだがこれがまたすごい人だった。ともかく出国手続きをすませ(出入国カードは2001年から不要になっている)26番ゲートへ。
 
 さてミラノまでであるが12時間は長い。寝るか映画を見るかしかない。いきなり疲れないようにひたすら寝ることに・・・
ミラノミラノ ミラノ・マルペンサ空港到着、18時過ぎ、乗り継ぎが大変。ここで4時間ほど待つ。暇なのであちこち探索に行くがイタリアに入国するわけではないのでしばらくすると飽きてしまった。子供は飛行機の中でできなかったゲームをやっている。下の子はしばらくするとかみさんとお店巡りをしてサンダルを買ってきた。ユーロで初の買い物であった。
ホテルでチェックイン。 ミラノからアリタリア航空AZ898便でカイロへ。
 エジプトはビザが必要な国で機内で入国カードを書く。カイロ着は午前1時50分。とりあえず空港の銀行で10米ドルをエジプトポンドに両替しておいた。10ドルが50エジプトポンドちょっとになったと思う。エジプトの紙幣はみんなくしゃくしゃのボロである。入国手続きをして外へ出るとなんと雨!エジプトへ来ていきなり雨である。砂漠の国じゃなかったのか?なんでも今年初めての雨らしい。バスに乗りホテルへ向かう途中空港出口に大きな水たまりがあり車が動けなくなっていた。もともと雨がほとんど降らない国なので水はけが悪いらしい。ホテルまで小一時間、ホテル到着後添乗員のOさんがチェックイン、寝たのが4時頃であった。


3月28日(火) 
カイロのオアシスホテル。雨が降っている。オアシスホテル前の道路。かなりの渋滞である。 カイロで泊まったホテルはオアシスホテル。部屋がこんな感じに並んでいる。緑が多くしゃれたホテルである。この日はマルサマトルーフまで移動の日で出発は12時。それまでホテルでのんびり過ごす。
 朝食をとりあちこち写真を撮り、さらに昼食をとってロビー集合。ホテル前はカイロ中心部へ向かう車で大渋滞。道もぬかるんでいる。砂漠の国?
おおっ!ベンツのバス。トイレ付きである。出発の頃雨も上がり日が差し始める。 出発の頃雨も上がり日が差してきた。日が差してくると気温も上がってくる。でも暑いというわけではない。まだ涼しい。
 ここからマルサマトルーフまで7時間という予定だったが新しい道ができたとかで5時間ほど。トイレ休憩は途中1回だけ。治安の関係からか警官が1人バスに同乗し、その許可のあるところでないと停まらないという。子供には水を控えるようにいっておく。ホテル入り口ゲートの詰め所の警備員も銃をもっており、国情の違いをさっそく実感。
砂漠の中の看板。三菱自動車だ。 12時過ぎに出発。
 カイロ市街は緑が多い。ナイル川も近く、地下水が豊富なためか灌漑が行き届いているようだ。カイロから離れるにしたがって砂漠が広がり雲が切れてきた。道路沿いには看板がたくさん立っていてなじみのあるメーカーのものも数多くある。信号は当然無い。道はほとんど真っ直ぐである。バスはかなりとばしていた。120キロは出ていただろうか。
白バイ。 2時間ほど走りトイレ休憩。ここは警官の常駐場所か、数人の警官と白バイがいた。
 ところでエジプトではトイレは有料である。番人がいて料金を徴収する。料金は1エジプトポンド(LE)である。カイロ到着後両替をして1ポンド札を用意しておいたほうがよい。もっともホテルやレストラン併設のトイレは無料である。この休憩場所のトイレはもちろん有料である。家族4人で利用したので4ポンドかかった。バスにもトイレは付いているのだが狭い。
雲が切れて青空。 再び出発。砂漠の中を飛ばしていく。雲が少なくなり青空が広がっていく。だんだん砂漠らしくなってきた。所々にアンテナらしき物が立っているのだが何だろう。
 やがてアラメイン El Alameinへと近づく。町が近づくと検問所がある。検問を受けアラメインの町へ入っていく。大きな町の入口には必ず検問所があり検問を受けることになっているようだ。
アラメインの町並み。遠くに地中海が見える。El Alamein War Cemetery。 El Alameinは「炎の戦場エル・アラメイン」という映画にもなっている。1941年2月リビアに派遣されたロンメル将軍とイギリス軍が激突した地である。補給不足のロンメル将軍はここでイギリス軍に敗退する。その犠牲者を葬る「El Alemain War Cemetery」がある。右の写真である。バスはここでいったん休憩を取った。

 さて、アラメインは地中海岸の町である。ここへ来てようやく地中海が見えた。道はここから地中海に沿って走る。「沿って」といっても海は遠くに見えるだけで波打ち際というわけではない。海は青くきれいに見えるがガイドの話ではどこでも自由に泳げるわけではないらしい。なんでもまだ機雷がたくさんあり許可されたところでないと命の保証はないとのことである。
 ところで移動中によく道ばたの岩に腰掛けているベドウィン族と思われる人を何人も見かけたが何なんだろう。祈りの時間を待っているのか?
検問所。マルサマトルーフの町並み。 アラメインからさらに約200km、マルサマトルーフ MarsaMatruhが近づいてきた。検問所である。検問所はゲートがあるところと柵などで道をふさいでその間を通り抜けるようになっているところがある。ここは柵の間を通り抜ける検問所である。左奥に町が見える。検問所からしばらく走りマルサマトルーフに入った。
 マルサマトルーフはエジプトでは人気のリゾート地である。海岸沿いの道を通りホテルへ。途中見た海は青くとてもきれいだった。そういえばラクダも見たな。
ロビーに皆既日食のポスターが貼ってあった。 マルサマトルーフでの宿泊は「マイアミホテル」である。え?!という名前だがエジプトでマイアミである。
 ただし、このあたりでは普通らしいが国際的な観光設備の水準を満たしているとは言い難いホテルで、部屋にはバスタオルが1枚あるだけでその他は全くない。ロビー横には日食のポスターが貼ってあってここまで来てようやく日食ツアーらしくなってきたといったところか。その日食はいよいよ明日である。

 チェックインの前に星ナビのスタッフから明日の説明があった。サルームにおける観測地はサルーム市街ではなくちょっと離れた丘の上らしい。しかも当日はムバラク大統領も来るらしく、サルーム入口のゲートは午前7時に閉められるということで29日は午前2時15分モーニングコール(モーニングか?)3時出発とのこと。でも当然のことながら誰も文句は言わない。
 夕食後、郊外へ星見に連れて行ったもらったのだが、これも現地スタッフとの交渉がうまくいかなかったらしい。星を見ることの意味を理解してもらえなかったということで近くの公園のようなところで街灯が明るく、しかも雲が多く満天の星空というわけにはいかなかった。
 いよいよ明日というわけで星見から戻ってから子供たちを寝かしつけ、機材を一つにまとめて私たちも寝ることにした。

  

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