広島電鉄 2016年 その2

 市内線のほうに移動して、まず横川線の撮影。太田川から分かれた天満川の橋の上がサミットのようになっている。市内線はいろいろな電車が走っていて面白いね。いわゆる被爆電車も撮ることができた。

2016年8月10日撮影
使用カメラ Nikon D5200


別院前
横川駅前から電停を二つ乗ってすぐ下車。
1000形1010。近畿車輛・三菱重工業・東洋電機製造と広島電鉄が共同開発した。この1010は2016年製。納入されたのは2月だがこのときは試運転表示だった。
別院前−横川一丁目間
ちょっと勾配を上がって天満川を渡る。
別院前
800形806。この806は1990年、アルナ工機製。
別院前−横川一丁目間
天満川を渡って勾配を下ってくる1900形1914。
元京都市電の車両で1978年に広島電鉄に譲渡された。京都時代の車番は1930。1957年、東洋工機製。吊り掛け車である。
寺町−別院前間
先ほどの1010。後ろは報専坊。浄土真宗本願寺派のお寺で境内に被爆したイチョウの木がある。爆心地から約1100m。
寺町−別院前間
800形806の反対側。違う車両みたい。
ところで別院前の別院というのは本願寺広島別院のこと。写真に写っている報専坊の向こう側にある。
十日市町−寺町間
900形914。元大阪市電2601形2639。1955年から1961年にかけて大阪車輌工業で製造されたうちの1両。広島に来たのは1969年。これも吊り掛け車。
寺町
元京都市電1900形1913。京都時代の車番は1929。東洋工機製。
十日市町
十日市町交差点を行き交う電車。800形803。
十日市町
650形652。
1942年木南車輌製。車体は半鋼製ボギー車でノーシル・ノーヘッダの吊り掛け車。
いわゆる被爆電車で651から655全車が被爆したがそのうち3両が今も走り続けている。
十日市町
650形652。
交差点を宇品方面へカーブしていく。
この652は宇品付近を走行中に被爆した。被害は小規模で1945年の8月中には復旧し、被爆直後の広島市内を走り、市民を勇気づけたとされる車両。未だに現役というのがすごいね。
十日市町
900形911。900形はすべて1969年に広島に譲渡されている。
十日市町
911と914がすれ違う。大阪だね。
十日市町
もう横川から1913が戻ってきた。1900形にはすべて京都にちなんだ異なる愛称がついている。1913は嵯峨野。
的場町−猿猴橋町間
広島駅へ戻る途中的場町で下車。渋滞していて電車より歩いた方が早いと思ったんだ。写真を撮りながらだったので遅かったけど。
猿猴川を渡るところがちょっと高くなっている。
800形810。1992年製。
的場町−猿猴橋町間
猿猴橋川を渡ってちょっと下り勾配になったあたり。
1992年製812。
猿猴橋町
3900形3905。
1992年アルナ工機製。3800形のマイナーチェンジ形で出力が少し大きくなっている。
猿猴橋町
700形705。
1982年から1985年にかけて量産された形式。製造はアルナ工機(現・アルナ車両)。701〜707は吊り掛け駆動だが711〜714は平行カルダン。


 

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