京福電気鉄道 2016年

 通称「嵐電」といわれる京福電気鉄道嵐山本線と北野線。叡山電鉄、えちぜん鉄道はかつては京福電鉄の路線だった。京福の福は福井の福ということである。通称の「嵐電」は2007年に公式の愛称となった。

 沿線には世界遺産、国宝、重文が多数あり観光客の利用が多い。撮影地として有名な太秦広隆寺駅の目の前にある広隆寺は国宝第1号の弥勒菩薩半跏像があるお寺として有名。中学の修学旅行以来の見学に行った。御室仁和寺には世界遺産になっている仁和寺の最寄り駅。


沿革:
1942(昭和17)年 京福電気鉄道設立、京都電燈の鉄軌道事業を継承
             鞍馬電気鉄道・三国芦原電鉄を合併
1944(昭和19)年 永平寺鉄道・丸岡鉄道を合併
1985(昭和60)年 叡山電鉄株式会社を全額出資の子会社として設立
1986(昭和61)年 叡山本線・鞍馬線を叡山電鉄に分離譲渡
2003(平成15)年 福井地区の鉄道事業を受け持つ福井鉄道部を廃止。施設をえちぜん鉄道へ譲渡
2009(平成21)年 江ノ島電鉄と姉妹提携


撮影 2016年8月12日
使用カメラ ニコン D5200


太秦広隆寺
嵐電の撮影地といえば必ずここが出てくる場所。駅ホームからも見える広隆寺楼門。元禄15年の建立と伝わる。
車両はここまで乗ってきたモボ621形625の後追い。621形、611形、631形は武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)製。
太秦広隆寺
モボ611形611。
2011年嵐電開業100周年を機にモボ611とモボ621が全車この「京紫」に塗色変更された。
この横断歩道は駅のすぐ横で人が多いのであえて人を入れて撮ってみた。
太秦広隆寺
モボ101形106。
1929年、藤永田造船所(現・三井造船)製。1975年にモボ301形と同じ車体に更新されている。吊り掛け駆動の半鋼製車で前面が3枚窓なのが特徴。電柱の影に立って待っているのだが暑い。
太秦広隆寺
611形614。
藤間紋蔵舞踊研究所の入口がホームに面している。民家の玄関や路地の入口がありホームが道路になっている駅。
2007年、太秦から太秦広隆寺に改称された。
帷子ノ辻
614を後追いで撮る。ここで北野線に乗り換え。ちょっと遅れたのに北野白梅町行きが待っててくれなかった。
ところで、駅周辺の地名は太秦帷子ケ辻町だが駅名は帷子ノ辻。
帷子ノ辻
モボ611形613。
北野線は通常すべて線内折り返し運転をしている。けっこうお客さんが乗っている。
鳴滝−宇多野間
モボ631形631。
この車両は2009年に江ノ電との提携を記念して江ノ電号として運行。
鳴滝駅でいったん下車。ここまで単線、複線区間があるが、ここから先は北野白梅町までは単線となる。木製の架線柱があった。
鳴滝−宇多野間
モボ2001形2002。
2000年の嵐山本線開業90周年記念にモボ501形の置換え用として登場した。武庫川車両工業製。新「嵐電スタイル」の車両で京福電鉄初のカルダン駆動。
鳴滝−宇多野間
近所の人が行き交う。
鳴滝
駅前の千成餅食堂。あちこちにあるらしいが、店先には赤飯、おはぎ、巻き寿司、いなり寿司、だんごなどがある。ここまで食料無しで来たので空腹には代えられないと思い、ここでいなり寿司を買ってホームで食べた。京都らしい薄味だけどおいしかった。
鳴滝−宇多野間
ここまで乗ってきた613が北野白梅町から戻ってきたが日が陰ってしまった。
御室仁和寺
631に乗って2駅、御室仁和寺まで移動。
御室仁和寺
御室駅として開業、2007年に御室仁和寺に改称された。仁和寺は徒然草にも出てくるあのお寺である。世界遺産でもある仁和寺を見に行こう。
宇多野−御室仁和寺間
仁和寺へ行った後、宇多野まで来た。周辺は住宅地となっている。世界遺産が近くにあるという感じのしない普通の住宅地。
宇多野
631の後追い。宇多野駅は千鳥式2面1線の駅構造となっている。これは北野白梅町方面ホーム。
開業時は高雄口、2007年に宇多野に改称された。高雄口というのはここから北西に5kmほどのところにある紅葉で知られた高雄山の入口ということ。駅入り口の周辺案内図はまだ高雄口のままの地図だった。
宇多野
誰もいないホーム。もう2002が戻ってきた。あちこち歩いて汗びっしょりである。
宇多野
乗降のないまま発車。ただ待っているだけでも汗が流れてくる。
宇多野
帷子ノ辻方面ホームを通過。こちらにはお客さんがいる。
宇多野
帷子ノ辻方面ホーム端から613。嵐電はやはり緑色のほうが合うよね。
鳴滝
ここから常磐までが複線区間。向こうに常盤駅が見える。さて,撮影所前から山陰本線太秦駅へ行って京都駅に戻ろう。


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